村上春樹 「1Q84」 (ネタバレ含む) [レビュー]
今回の作品は、どちらかというと初期の作品に近いと感じた。
オウ○真○教の地下鉄テロ事件の影響による、カルトや暴力への問題提起があるが、
今回はそこには触れずに、過去の作品と関連づけてレビューを書いてみようと思う。
村上氏の作品は、読後に考えさせられることが多い。
そして、読むたびに印象が変わる。
正解のない自分なりの印象。これは、自分に何かを残すだろうか?
では、本題。
「羊をめぐる冒険」「ダンスダンスダンス」「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
いずれも好きな作品であり、それらと関連があるのかなと思いながら読み、
深い余韻を味わうことができた。
本書の「リトル・ピープル」は、羊三部作の「羊男」を思わせる。
恩寵(や力)を与えるけれど、そのかわりに内部をむしばむもの。
リトル・ピープルも羊男も、自分たちではどうにもならない「時代の意志」の象徴ではないかと思う。
時には「運命」と呼ばれるのかもしれないし、あるいは「自然淘汰」と呼ばれるのかもしれない。
さて、現代は悪意に満ちている。
善意は過去のものとなりつつある。
これ以上、悪へのバランスを傾けてはならない。
このままでは滅びへと向かってしまう。
だからこそ、鼠は羊男を内包したまま自らを滅ぼす。
そして、リーダーもまた青豆にすべてを打ち明け、自分を殺してくれと頼む。
天吾とふかえりの反リトル・ピープル作用を期待し、後を託すために。
それが世界の終わりを遅らせるための方法であるから。
青豆は、ある意味巻き込まれただけに過ぎない。
しかし一番苛酷な使命を負ってしまっているように思う。
天吾はふかえりの「空気さなぎ」を書くことで、月のふたつある1Q84年に入ってしまった。
そのときに、気持ちの上で結びついていた青豆を呼んでしまう。
青豆は、自分が天吾の書いた小説にふくまれたことを知らずにふたつの月をみつめ、
1Q84年をたくましく、クールに渡り、愛のためにハードボイルドに苛酷な運命を終える。
村上氏の小説では、与えられた役割が終わった人は退場するのだ。
そしてそれまでは、上手にダンスのステップを踏み続けなくてはならないのだ。
キキのように。
青豆のラストシーンはとても悲しいものだった。
彼女自身に救いはあったのだろうか?
世界が悪意に満ちても、彼女にとってはどうでもよかった。おそらく。
彼女は愛のために、すべてを捨てたのだ。
そして、天吾のもとに孵ることができた。
ただ、その前に会わせてあげたかった。
そう思う人は多いに違いない。
でも、100%の恋人同士はすれ違う運命なのだ。
出会った瞬間、100%ではなくなってしまうのかもしれない。
一方の天吾は、青豆を必ず見つけると決意を新たにする。
おそらく天吾は、自分の書く文章の中で青豆を見つけることができるのだろう。
このあたりが、「世界の終わり」を思い起こさせ悲しくなる。
「世界の終わり」の「僕」は死ぬことも生きることもない永遠の自分自身の意識の中に生きる。
そこにあるのはすべて「僕」が作ったものである。
永遠の孤独である。
「僕」が影を失ったように、天吾は青豆を失い、自分自身の中に生きることになる。
しかし、「世界の終わり」では、図書館の女の子の心を見つけることができた。
だから、青豆もきっと見つかるに違いない。
そうでなければ、あまりに孤独で救われない。
オウ○真○教の地下鉄テロ事件の影響による、カルトや暴力への問題提起があるが、
今回はそこには触れずに、過去の作品と関連づけてレビューを書いてみようと思う。
村上氏の作品は、読後に考えさせられることが多い。
そして、読むたびに印象が変わる。
正解のない自分なりの印象。これは、自分に何かを残すだろうか?
では、本題。
「羊をめぐる冒険」「ダンスダンスダンス」「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
いずれも好きな作品であり、それらと関連があるのかなと思いながら読み、
深い余韻を味わうことができた。
本書の「リトル・ピープル」は、羊三部作の「羊男」を思わせる。
恩寵(や力)を与えるけれど、そのかわりに内部をむしばむもの。
リトル・ピープルも羊男も、自分たちではどうにもならない「時代の意志」の象徴ではないかと思う。
時には「運命」と呼ばれるのかもしれないし、あるいは「自然淘汰」と呼ばれるのかもしれない。
さて、現代は悪意に満ちている。
善意は過去のものとなりつつある。
これ以上、悪へのバランスを傾けてはならない。
このままでは滅びへと向かってしまう。
だからこそ、鼠は羊男を内包したまま自らを滅ぼす。
そして、リーダーもまた青豆にすべてを打ち明け、自分を殺してくれと頼む。
天吾とふかえりの反リトル・ピープル作用を期待し、後を託すために。
それが世界の終わりを遅らせるための方法であるから。
青豆は、ある意味巻き込まれただけに過ぎない。
しかし一番苛酷な使命を負ってしまっているように思う。
天吾はふかえりの「空気さなぎ」を書くことで、月のふたつある1Q84年に入ってしまった。
そのときに、気持ちの上で結びついていた青豆を呼んでしまう。
青豆は、自分が天吾の書いた小説にふくまれたことを知らずにふたつの月をみつめ、
1Q84年をたくましく、クールに渡り、愛のためにハードボイルドに苛酷な運命を終える。
村上氏の小説では、与えられた役割が終わった人は退場するのだ。
そしてそれまでは、上手にダンスのステップを踏み続けなくてはならないのだ。
キキのように。
青豆のラストシーンはとても悲しいものだった。
彼女自身に救いはあったのだろうか?
世界が悪意に満ちても、彼女にとってはどうでもよかった。おそらく。
彼女は愛のために、すべてを捨てたのだ。
そして、天吾のもとに孵ることができた。
ただ、その前に会わせてあげたかった。
そう思う人は多いに違いない。
でも、100%の恋人同士はすれ違う運命なのだ。
出会った瞬間、100%ではなくなってしまうのかもしれない。
一方の天吾は、青豆を必ず見つけると決意を新たにする。
おそらく天吾は、自分の書く文章の中で青豆を見つけることができるのだろう。
このあたりが、「世界の終わり」を思い起こさせ悲しくなる。
「世界の終わり」の「僕」は死ぬことも生きることもない永遠の自分自身の意識の中に生きる。
そこにあるのはすべて「僕」が作ったものである。
永遠の孤独である。
「僕」が影を失ったように、天吾は青豆を失い、自分自身の中に生きることになる。
しかし、「世界の終わり」では、図書館の女の子の心を見つけることができた。
だから、青豆もきっと見つかるに違いない。
そうでなければ、あまりに孤独で救われない。
2009-06-07 12:04
nice!(0)
コメント(1)








下巻70項からのH&K「拳銃」の作動・操作方法の描写は違います。
「空のマガジンが装填されていなければスライドはオープン保持しません」
by THE_SUNNE (2009-10-25 07:58)